目次T : 「のび太」の由来 ・ これまでの人生 ・ところで趣味は ・ 何故「絵」なのか
絵を描こうと思い立って6年目 (2004年〜2006年 ・ 2007年・ 2008年)…少しなれてきたかも。
2009年(丸5年)…自分なりに少し納得できるものが増えてきたかも。
2010年…自分なりの絵を描くことを目標に。 断捨離。
2011年…そろそろ次を見たい。 この年東日本大震災、福島第一原発メルトスルー。
2012年…新しい展開を考えたい。目次U:「教室」をやってみよう
2013年…ひと区切り・団体参加・そして教室を考える。
2014年…もう甘えてもいられない。
「平澤 薫 (ひらさわかおる)」。
写真は、仕事先でのプロフィール紹介のために撮影したものです。
パソコン通信の時代から、ネットの世界はもう20年ほどになります。正直言ってハンドルネームにはあまり拘っていません。このブログで「のび太」とした時も、ふと思いついただけのことです。
しかし、2006年2月19日のTV番組ですが、ドラえもん生みの親、藤子不二雄(藤本弘)が「のび太の強さは、少しも向上していないのにもかかわらず、尚、自分の理想を見失っていない所です。」と言っているとか。
これを知って、<少しも向上していないのにもかかわらず>というところは不満ですが(^^ゞ、自分でもようやく「のび太」に納得することができました。
しばらくは、「のび太」でいきましょうか。
昭和22年(1947年)、長野県に生まれました。小学校低学年の頃。絵が好きだった私を見ながら、親戚と話していた父親がつぶやいた一言「薫は設計士になったら良いかもしれない」という言葉が心にありました。建築を志したのはそんな単純な理由からでした。
しかし、大学卒業後、建築設計事務所に就職したものの、設計をまかされるようになった途端に疑問を感じるようになってしまったのです。人々が快適に暮らせる環境をつくるために建築の設計を行っているつもりだったのですが、もしかしたら、建築行為そのものが都市を、環境を悪化させていることもあるのではないか…と。
そんなわけで、改めて都市及び都市計画を学ぶことになりました。
30歳で大学院を終了後現在の生活に至るまで、都市計画を業務として生きてきました。やらなければいけないことは際限なくある仕事ですし、私にとっても天職と思えるやりがいのある仕事でしたから、その中にどっぷりと浸かってきました。
しかし時代の変化とともに、都市計画の仕事も大きく変わりました。
私も、そろそろ都市計画を卒業しても良い時期に来たようです。
それで、これからは個人として次の人生を生きることにしたのです。50歳台後半のことでした。
高校時代には「体操班」。いわゆる体育会系ですね。
大学時代も、何かをするとすればやはり体育会系とは思っていましたが、高校時代の先輩・後輩関係のイヤな思い出があったために、結局は、どこにも属さないまま卒業。その後は、設計事務所・大学院と、修業と生活を最優先させなければならない時期でもあったので、特に趣味は考えられませんでした。むしろ生活は単純な方が良いと思っていました。
【音楽】しかし30歳頃、都市計画事務所に就職してしばらくしてから、せめて精神的には余裕が欲しいと思うようになり、仕事しながら楽しめるものとして音楽を聴くことを始めました。
まず、オーディオですが、最初はカセット・デッキのみ。そしてすぐにチューナーとスピーカーを買い足してエアチェック。その後、オープンリール・デッキでさらにエア・チェック。そして、レコードプレイヤー、CDデッキと、徐々にシステムが充実していきました。
音楽の分野は主としてクラシック。最初はオーケストラから始まり、次第に協奏曲やバイオリン・フルート主体の小編成の曲へと好みも変化していきました。この趣味は今も続いていて、自作の棚にはCDが600枚ほどになりました。それも弦楽関係が8割ほどと、随分偏った内容になっています。
#その後、ミュージックバードを契約しいつでも聴ける状態になっていましたが、今は地デジの他はCDデッキだけになりました。そのうち、聴いているだけでは物足りなくなり、フルートを独習し始めました。これは仕事の合間の気楽な息抜きにできると思ったからです。
これは数年ほど続けたのですが、そのうちパソコンを扱う時間が多くなり結局は挫折しました(^^ゞ。
【パソコン】
35歳頃でしょうか、NECのPC9801が出始めた頃、仕事での必要性からパソコンを始めました。
そしてすぐに、パソコンの持つ、いつでもどこでも仕事ができるという可能性、人的なネットワーク拡大の可能性を実感するようになり、これを自由に使いこなしたいと思うようになりました。
ただ、私がこれに相当の時間を割いていた頃は、時代や技術が追いついていなかったようです。したがって、これらのページは「趣味」だと開き直らざるを得ませんが、見方によればそのままパソコンとの悪戦苦闘の歴史でもあるのです。
そしてその感想は、「日進月歩のこの世界、費やした労苦に対して、わずかの充実感しか返してくれないものだ。」というものでした。
#もしかしたら、どんなパソコンを触っても適当に使えるというのが最大の成果だったのかもしれませんが…。しかし、未だにパソコンに触っている時間は毎日数時間以上になります。
仕事に見切りをつけるにはちょっと時期が早かったこともあって、仕事の世界では、「まだ若いのに…、もったいない。やることはまだあるだろう。」と言ってくれる人もいます。「どうしているのか。」と、心配してくれる友人もいるようです。
しかし一方、「うらやましい。」と言ってくれる人もいます。実は私も、今の生活、それほど悪いものではないと思っているのです。権威も、金儲けも、私の生き方には似合いませんし、縮小する業界で、後輩に早く引退して欲しいと思われる歳になってまでしがみついていたいとは思いません。
ただ忙しいだけで、心の満足につながらない現代の経済至上主義の価値観とは距離を置きたいと思っていました。むしろ私としては、早めに方向転換できたことが幸せだと思っているのです。
これからをどう生きるか!ということで、まず考えたのが、健全な身体を維持すること。次いで一生続けられるものを持つことでした。
これは、高校時代のある友人が言っていた「動的な趣味と、静的な趣味を持つのがバランスが良くて良いのではないか。」ということと、符合するような気もします。人生のギリギリまで仕事をして、後は気楽に生きるという人生を選択する人もいますが、私の場合、これまでもいろいろな人生を生きてきたような気がしていますので、もう一つ、次の人生を考えても良いような気分もどこかにあるようです。
「体力づくり」ということで、まずは、全身に良いスポーツとして水泳を始めたのですが、これは孤独なスポーツです。私には楽しく続けることができませんでした。次に考えたのがテニスです。高校時代は体操班の隣が卓球班だったので、卓球はかなりやっていたのですが、テニスは経験ありません。しかし、季節に関係なくできることや、テニスを通じて仲間ができることが良い点でした。
# 最初は、「負け続けるスポーツなんてイヤだ!」なんて思っていたんですけどね(^^ゞ。このテニス、始めてみると結構のめりこんでいきました。もちろん最初は負け続けていたのですが、2年近く経ってようやくゲームでも勝てる機会が増えてきたと思っていた矢先、自分の運動神経を過信していたのでしょう、2005年10月1日、ボールを深追いして転倒し、鎖骨を骨折してしまいました。その後10ヶ月程治療をしたのですが、結局骨は癒合しませんでした。
しかし、テニスを再開しても何とかテニスができるようでしたので、そのままテニスを続けています。
#不思議なものです。鎖骨を骨折したままテニスができるとは思ってもいませんでしたが…。そんなわけで、どうやら私にとって最悪のケースは避けられたようです。
もう一つ、「一生続けられるもの」として考えたのが「絵」だったのです。
これからの人生を考えたとき、その先に待つ「死」を抜きには考えられません。
そのため、いつ終わっても悔いのない生き方、残った人に迷惑をかけなくて済むような生き方がないかと思ったのです。
そして、これからの自分にできそうなことで、自分でも心豊かに生活でき、さらに可能なら、人々の心にも働きかけられるようなものはないか、と考えた時、ふと「絵」が浮かんできたのです。「そういう生き方もいいか。」と…。それが2004年を迎えるころだったでしょうか?
小さい頃には、確かに絵を描くことが好きだったのですが、その後、殆ど絵らしい絵はかいていませんし、むしろ「色をつければ私の絵はダメになる。」と、ずっと思いこんでいましたから…。
それに何より、自分に絵を描くセンスがあるかどうか疑問に思っていたのです。
#今でも、それに関しては大いに不安なのですが…。それでも絵を描くに至ったのは、奥津国道氏の本「水彩画プロの裏技」を読んだのが直接のきっかけであったことは間違いないでしょう。不遜にも、「こういう絵だったら、私にも描けるようになるかもしれない。」と思ったからです。
画家をめざそうと思っているとまでは言いません。ただ、画家にもいろいろあります。「どんな仕事でも倦まずたゆまず10年も努力すれば何とかなる。」という思いもありましたし、まあ10年はやってみようと思ったのです。やっているうちに、自然と先が見えてくるだろうと…。
#絵を、次の人生の目標にしてみるのもおもしろいような気もしていたのです。
しかし何でもそうですが、しばらく助走期間が必要なようです。仕事の都合もあって、本格的に絵を描き始めたのは結局2004年も11月になってしまっていました。
そして、絵を描こうと思い立つと同時にブログも始めました。
丁度ブログが世間的にも話題になり始めていた頃だったというタイミングでもあったのですが、私としては、皆に公表してしまうことにより、自分を励ますというか、あるいは退路を断つというような…そんな気持ちでもあったのですが、同時に、もし長く続けられることがあれば、それを振り返ってみたり、自分の絵の変遷を顧みるのも楽しいのではないだろうか?と考えたからでした。そうやって、一応本格的に?絵をスタートして、やめることもなく無事に2005年も過ぎました。
何とか絵を描くことにも少し慣れてきて、絵を描くことが結構楽しいものだと思えるようになってきました。こんな具合なら10年ほどは続けられるかもしれません。
それに何より、絵を描くことで友人が増えており、そんなことも大きな支えになってきているようです。極めていい加減な動機・考えですが、これからも、ずっと絵を描き続けることになるだろうと思っています。
絵を描くことに少し慣れてきたような気がしたので、2006年を迎えるにあたって、次のような目標を設定してみました。・枚数より、作品としての完成度を高めること少し絵にも慣れてきて、作品としての完成度が欲しくなったようです。
・でも枚数はやっぱり100枚を目標にしたい(けどちょっと難しいか。80枚くらいかな?)
とは言いながら、まだまだ手の慣れが必要だと考えています。とにかく枚数を増やすことも大切だと思っているのです。
・より大判のサイズを増やすこと
最初は小さなスケッチブックなどを使っていましたが、次第にF4サイズが中心になっていきました。しかし、それでは絵が小さくなりそうな気がしていまして、もっと大判に慣れなければいけないとも思っているのです。
・現地での絵を増やすこと
枚数を増やすためにデジカメの画像から絵を描いていました。現地で描くことが大切だと友人には言われていたのですが、それでもなかなか現地で描くことをしていませんでした。
これができるようになったのは後半になってからでした。田舎の風景を中心に描いていた頃から、何となく自分の納得の行くレベルに近づいてきたような気がしていましたが、同時に、このままではダメだという意識も強くなってきました。
それを打破したくて、絵画教室に入ることにしました。
絵画教室に入ることにより、当然ですが、先生からいろいろなアドバイスを受けられるようになりました。そして、それまで描いたことのない静物・人物を描くことにもなりましたし、現地で描くことも増えてきました。
しかし、予期していなかったことですが、意外に重要だったのは、その場で他の絵と見比べることができるということでした。そんなわけで、絵画教室に入ることによって、大判サイズで描くこと、現地での絵を増やすことは、無理することなくできるようになりました。
2006年の年頭の目標はどうやら概ねクリアできたようです。
しかし、同時に新たな課題や、今後やりたいことも明確になってきたようです。次にめざすべき方向として、以下のようなことを考えてみています。
・もっと色彩の使い方を考えることそもそも絵をスタートさせる際にも心にあったように、私のまずい点は、色彩の使い方。
つまり、明度(濃淡)はまあまあなのですが、色相・彩度を活かすことが下手だと思っているのです。より上達するためには、それが課題だとういうことがようやく自覚できたのです。・さらに大判サイズに挑戦すること
2006年の後半は、用紙のサイズがF6からF8が主体となってきました。それはそれで良いのですが、教室「季の会」のグループ展を開催する頃から、他の仲間の絵を見るようになって、もっと大判を描いてみたい気持ちが強くなってきました。
そのためには、現在の固形ハーフパンの絵の具では不十分だと思うようになってきたので、チューブ絵の具も購入しました。今年は、これをちゃんと使ってもっと大きな絵に挑戦することにしましょう。
・都市の風景、夜景、雨景等、今まであまり描いてこなかった絵にも挑戦すること
年末、絵の友人のそのまた友人である画家「中西 繁」氏の個展を見ました。彼は、パリにアトリエを持ちパリの都市風景を中心に描いています。最近はこんな本も著しています。
私は、今まで自然風景を多く描いてきており、それは大好きな風景でもあるのですが、彼の絵を見て「都市の風景」にも心惹かれるものがあることを感じたのです。
私の経歴からしても、それはまず挑戦しなければいけないテーマだったのですが、何しろ日本の都市景観の貧しさを日々感じていましたのでなかなかその気になれなかったのです。しかしそんなことは言ってはいられない気分になってきました。中西氏は都市風景でも特に夜景・雨の景を良く描いています。それを見たとき、そのつややかさを表現するにはとても油彩には敵わない気がするのです。
それで今は、油彩画にも挑戦する必要があるかもしれないと感じるようになっているところです。あぁ、その前にアクリルもありますけどね…。
絵を描き始めて4年目、2007年は、正月早々母を見送ることになってしまいましたが、その頃から、私の絵も少しずつ変化してきたような気がします。その後ハガキ絵を描いてみたり、台湾・イタリア旅行では現場でスケッチを描いたり…と、今までになく様々な試行をしてきたのですが、もしかしたら、さらに自分の絵が変わってきたのかもしれないと思えるようになってきました。
昨年描いた絵をざっと振り返ってみると、概ね次のようなことになっていました。
・風景 81枚
・人物 2枚
・静物 4枚
・ハガキ 14枚程度
・台湾・イタリア旅行でのスケッチ当初は風景100枚ほどを目標にしていたのですが、11月中旬から絵画教室の「季の会」グループ展の幹事役などで何となく忙しくなってきてしまい、その後は枚数が増えませんでした。
#ちょっと心残りですが、数を目標にしていたわけではないので、これはこれはで良しとしましょう。
さて、2008年は絵を描き始めて5年目の年。
絵を描き始めた時が大学入学時と考えれば、もう社会人になる年です。それにしてはまだ幼いような気がしないでもないのですが、またまた自分にプレッシャーを与えるために、絵について考えていることを書いてみましょう。
・大判サイズを描いてみたい。
昨年末、私のこれまでの絵の中では想像もできないほどのサイズ、F60、2枚にアルシュを水貼りしましたが、これがその手始めになる筈です。
#実は、これは3月の水彩連盟展に応募するためのものなんですが、徐々にそんな気分になってきているようです。したがって、このサイズをこれからもちょくちょく描くというものではありませんが、まあ、F30くらいのものは時には描いてみても良いかも…と、そんな気持ちになっています。
また、教室で描く絵はF8を基本にしていましたが、これからはF10を基本にしていこうと思っています。同時に、さらに絵を描く機会を増やすために、教室で描く絵の下絵にも彩色してみようと、欲張ったことを考え始めています。
#下絵はあくまでも下絵にすぎない…という人はいるのですが。・作品と呼べるようなものをもっと増やしたい。
この数ヶ月、何となく自分の絵の雰囲気が変わってきたような気もします。生意気にも、「作品」と呼んでもらえるような絵への意欲も高まってきたようです。
いずれにしても、今までは殆ど描きっぱなしになっていたのですが、自分なりに、完成と言えるところまで突き詰めたいと思うようになっています。
となるといずれは「個展」も…ということになるのですが…。
#とうとう書いてしまいました(^^ゞ。ところが、これがなかなか難しいということに最近気づきました。それは会場の確保の問題なのです。東京では会場費用が結構高いようですし、しかも1年ほど前には会場を決めないといけないほど需要が多いようなのです。
作品と言えるようなレベルのものをもっと増やしてからでないと恥ずかしいことになるばかりですが…、徐々に考えていこうというような気分になりつつあります。
・光と影、空気感、思いのようなものが描けたら…。
特に、田園風景や歴史的な集落・建造物などを描いていると思うことがあります。「この風景はいつまで残っているだろうか?」ということです。
風景を描く場合、光と影、空気感といったものを描けたら…とは今まで感じていたことですが、最近は、滅び行く風景、儚さを感じる風景、あるいは一瞬の輝きを見せる風景に出会った時、特に感じる愛おしさのような感情、そんなものが描けたら…と思ったりします。
遠い遠い目標になるかもしれません…。
・当面は、水彩だけを考えていきます。
#これは、目標ではありませんが…。一時期、油彩を…と考えたこともありましたが、今は油彩でなければならないと考えてはいません。むしろ水彩の手軽さ、多様な表現の可能性のようなものに面白さを感じており、水彩で良いかな?と思っているのです。
まあ、これから先々どうなるかわかりませんが、当面は水彩で良いでしょう。
いつの間にか、2009年は絵を描き始めて足かけ6年目の年になってしまいました。絵に対する迷いは相変わらずですが、今まで、課題とか目標としてきたことも、それなりにこなしてきた…そんな感じが持てるようにはなりました。
・自分の絵とは?
そうした中で、最近良く考えるのは、「私の絵」とはどういうものなんだろう?ということです。
自分でも確かだと思うことがあります。それは、当初描いてきた描き方が(もちろん意識はしていたのですが、)いつの間にか変わってきて、もう以前の描き方に戻れない…そんな気がすることなのです。それが画風というものなのかもしれません。
恐らく、自分が最も気持ち良いと感じる絵を、自分が描きたいと思う描き方で描く…。それが自分の絵に近づく方法ではないかと…、そんな気がするのです。
・自然体になってきた?
同時に、絵に対する気負いのようなものがなくなってきたような気がします。毎年年頭に描いていた目標のようなものも、今年はそれほど意識しなくなりました。
何となく、どんな絵を描いても自分としての絵になるんだから…そんな感じなんです。意欲がなくなってきた…でなければ良いんですが。以前は、それなりに描いた絵に対する思い入れがあって、絵を手放すということに少なからず抵抗感があったのですが、最近はやけにサッパリしてきました。
公募展のために60号の絵を描いても、それほど大きくなってしまうと保管するのも大変ですし、飾れるような部屋もそうそうあるわけではありません。むしろそんな絵でも欲しい方がいれば、どんどん手放しても良いかも…そんな風に思えるようになりました。
もともと、絵を始めた動機がそんなところにあったわけですから、それでも良いか…と。自分の絵に対する執着心が薄れてきているのかもしれませんね。以前書いていた「個展」も、その時が来れば自然に開くことができるだろう、そんな気分にもなってきました。一通り、いろいろなことを経験できてきたからかもしれませんね。
・相変わらず、水彩で良いかも。
これからの時代、絵を描く人はさらに多くなるでしょう。と言うことは水彩人口はますます多くなるということになるでしょう。
私個人のことを考えても、水彩の自由で多様な表現方法はかなり気に入っています。油彩の良さを決して軽視しているつもりはないのですが、改めてそれに手を付けると考えるとそのとっつきにくさも気になります。また、油彩は描き込めば描き込むほど誰もが似たような絵になってくるような気もしてしまうのです。これはもちろん私の偏見でしょうが…。
それに何よりも、油彩から受ける絵を「突き詰めて行く姿勢」がどうも私向きじゃないと思っているのです。私は、いろいろな表現を楽しみながら、もう少し気楽にいろいろな絵を描いて行きたいと思うのです。そう考えると、まだまだ水彩で良いかなぁと…。
昨年2009年は、最初の2004年が殆ど描いていなかったので、実質的には絵を始めてから丸5年目が経過した年と言えましょう。昨年を振り返って、これまでの成果を簡単に言えば、「打率は良くなってきたが、まだまだ長打が少ない。」そんな感じです。
先生が言う三区分によれば、「スケッチ」や「写生」としての絵は、それなりに進んできているように思いますが、「作品」としての絵がどうか?と言われると、果たして自分がそういう絵を描きたいのかどうか…ということも含めて、未だにもやの中にいるような気がしています。・描写から表現へ
絵を描き始めてこの数年、私の関心は以下のような点にあったような気がします。
- 水彩でどこまで表現できるのか?
- 自分はどこまで描けて、それが他の人からはどう見てもらえるのか?
最初の頃は、写真を見ながらそれをどのように描けるのか?が課題だったのですが、それが教室に行くようになって、徐々にその場の「雰囲気を描くこと」に意識が絞られてきたようです。しかしあくまでも具象的な表現がその軸となっていたことには違いありません。
換言すれば、風景を「描写(あるいは写生)」することが私の主題だったような気がするのです。現在は、徐々に具象的表現から離れても行っても良いかもしれないと思い始めています。
つまり、描きたいと思うもの=それは物や空間としての対象だけではなく、そこから感じた自分の気持ち・意識のようなものと言っても良いかもしれない。=を表現するために、新しい表現手法や色彩等への挑戦…ということになっていくだろうと思うようになってきたのです。絵の仲間から、もっと冒険すれば良いのに…と言われ続けても来たのですが、私としては、何も方向が見えないのにするのは冒険じゃなく、ただの無茶苦茶に過ぎない…なんて生意気にも思ったりしていたのですが、私なりに徐々にそういう気分にもなってきていますし、その方向がおぼろげにも見えて来たような気がしているのです。
但し、自分の好きな絵、描きたい絵というものがありますから、それからどこまで離れた絵に挑戦していくことが出来るかは、実際に描いて見ないことには何とも言えませんが…(^^ゞ。・個展を経験してみて
9月に開催できた初の個展は、私にはとても素晴らしい経験でした。
大勢の方に見ていただき、様々な感想・意見をいただくうちに、模索していたものが少し見えて来たような気がしています。
#こんな経験をしてしまっては、2010年も何としてもやりたい…なんていう気持ちになっても仕方ありません(^^ゞ。今や、絵は私の生活の一部になってきていますが、同様に個展もそんな風にしていけたら…なんて欲張ったりしているのです。
そんなこともあって、年頭にあたって2010年の連盟展への応募作は80号で行きたい…と考えたりしているところです。
絵を描き始めて7年目に入りました。この1年程の間に大きな変化があり、自分自身を、そして自分の生活を見直さなければならないことになりました。それでも幸いなことに絵の方は少しずつ進化してくれていると思っています。いつもこれからが問題…と思いながら続けてきましたが、多分これから先もそういうことなのでしょう。自分としては2回目の個展に向けて描いていた尾道シリーズ、個展後に描き始めた新子安シリーズ、それぞれにおいて絵を見てくれる人々の反応が嬉しくて描き続けてきたように思います。
#ブログの方ももう少し多くの人に知っていただきたいと思い始めて、2010年10月末頃「日本ブログ村・水彩画」部門のランキングに登録してみましたが、思いの外上位に来て驚きました。しかし、カウンターがそれほど増えなかったところを見ると、結構皆さんにも知っていただいていたのかもしれません。2011年は、自分の絵画生活をもっと前向きに具体化させていきたいものだと思うようになっています。
つまり、ただ絵を描き続ければ良いというのではなく、そろそろ次の自分を見たいというところでしょうか?
・透明水彩で十分
今までは時折、油彩画を描いてみたい…なんて思うことがありました。
しかし、その前に自分の環境変化がそれを許さなくなってしまったのですが、それで却って割り切りができました。私には透明水彩で十分です。
- 団塊世代がリタイヤするにつれて、これからますます透明水彩へ人々の関心が深まるだろうと思われること。
- 透明水彩に抱く人々のイメージが多様であると同様に、それを画具として利用した際の表現の仕方も多様であり、それがとても面白いものであると思うようになったこと。
そんなことを考えたからです。
・絵に籠めた心を大切に偉そうなことを書いてしまいましたが、私の関心はやはり「風景」なのです。「自分の絵」であれば良いというわけではないのです。
花や静物、人物には、全くとは言いませんが、私の心が向かいません。抽象画や心象風景画の中にも、良いと思うものがないわけではないのですが、多分私はそういう絵は描かないでしょう。しかし、風景には私のような朴念仁の心にも届くものがありますし、私が感じたものを共感して欲しいという気持ちもないわけではありませんから、やはり風景を中心にしていくしかないでしょう。多分、そのためには「具象から半具象」というあたりが私の立ち位置になるんだろうという気がしています。そこにどれだけ私が感じたものを描き籠めるか…そんなことを考えながらこれからの絵を描いていきたいと思うようになっています。
・これからの課題
風景の描写についてはある程度にはなってきたようですし、そこには私らしい表現の部分もあるようです。しかし、ただ描写するだけ、オーソドックスな表現を目指すだけではダメだということもあるでしょう。より絵画的な表現を目指す必要がありそうです。
<絵画性>、つまり構図、色彩、形態表現(具象性〜抽象性・心象性)等全てにおいてそれをもっと見直す必要がありそうです。
そして、最終的には<絵の品格=画品>をどこまで高められるか?それが課題になるだろうと考えるようになりました。
・個展はどんな形にしろ継続していこう
昨年も水彩連盟に入選させていただきましたが、何となくこうした団体への応募はホドホド(もちろん手を抜くという意味ではありませんが…)で良いのかな?と考えるようになりました。
#もっと広く知ってもらう方が重要ではないかと思うようになって来たのです。私の場合には、もともと通常8号まで、大きくても10号くらい…なんて考えていたものですし、むしろ個展の方を重視して行くべきではないか…という考えになっているところです。
絵を描き始めて8年目に入りました。
10年も一生懸命描いていれば何らかのプロになれるかもしれない…なんて始めた絵ですが、もうそろそろ10年も間近です(笑)。
しかし、昨年3月11日の東日本大震災。そして東電の福島第一原発の爆発・メルトスルーは私の絵に対する気持ちにも大きな影響を与えてしまいました。
東電を始めこの国のあらゆるものへの信頼が崩れていくように思い、私なりに真実を知りたいとツイッターを始めることになりました。そこで知った「私なりに信じられる事」を追ううちにそれを人々に少しでも知って欲しいと思うようになり、脱原発をテーマとするブログも始めることになりました。
#こんなことを気にしないで絵だけを描く生活ができたらどれほど幸せだったでしょうか?これだけの被害を起こしたからには、日本はすぐにでも脱原発に向かうだろうと思っていましたがそう簡単ではありませんでした。原発マフィア(知れば知るほどそう言わざるを得ないほど原発の利権に群がる人々の恥知らずの有り様はひどいものでしたが…)の抵抗はすさまじく、未だに原発再開をもくろんでいます。
結局ツイッターから離れることができず2011年が過ぎてしまいました。私の生活においてもネット情報に時間はとられてしまいましたし、原発の背景を知れば知るほど怒りに気持ちが乱され静かに絵を描いている気分にもなれませんでした。
今でも被害は拡大し続けているのですが、報道を含めて日本中が、まるで原発事故が何でもないことのように振る舞っているように見えます。私としてはせめてこの被害がこれ以上拡大しないことを願い、将来も首都圏から人々が避難しなければならないような状態に落ち着いて欲しいものだと思っていますが、果たしてどうなりますか。被害が明白になってくるのは数年先なんですから…。こんな状況の中ですが、絵の方をどうしていったらいいのか少し具体的に考えるようになりました。
まず、これまで4年間続けていた水彩連盟への応募をやめることにしました。私の絵の目的は水彩連盟会員になることではないことをハッキリ自覚したからです。もっと自然に私自身の絵を認めていただける場所があれば、そちらで活動をしようと思うようになったのです。つまり、そろそろ外に向かって絵を考えて行こうと思うようになったのです。
とは言え、昨年1年間が不本意でしたので私自身の絵がどれほど進んだのかあまり自信がありません。しかし、今年は少し決意を固める時期だと考え、これまで数年お世話になった教室もやめて一人の(歳をくってはいますが)画学生として絵と対決しようと思っているのです。
果たしてどうなりますか。
・絵画団体への参加
昨年は、日本スケッチ画会に入れていただきました。今年もいくつか参加を考えている団体があります。
・絵の発表の場まずは個展のあり方を考えるようになりました。とりあえず2013来1月末・横浜での開催を決定しました(会場の予約が大変なのです)。
秋にはグループ展他を3つほど予定していますので、もし個展を実施するとすれば春頃でしょうか。ただ、これは会場が確保できるかどうか…が最大の問題です。
昨年末にはfacebookも実際に動かし始めて、こちらは絵のネットワーク造りに活用することにしました。今のところ様子見ですが…。・これからの課題
自分の表現を見つけていこうという方向は変わりません。ただ、言葉ではそう言っていても具体的にどうしていったら良いのか…は全く不明です。
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